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12月5日姪浜愛宕神社の火渡り

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    2012年12月5日に姪浜の愛宕神社で恒例の「火渡し」がありました。 その時の模様です。

2015年住吉神社の玉せせり祭

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    2015年1月3日の住吉神社の「玉競り祭」です。

2016年の住吉神社玉せせり

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    2016年1月3日姪浜住吉神社の玉せせりがありました。

愛宕山への道

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    12月上旬に愛宕山に登った時の写真類です。

福岡西弓道場の紹介

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    福岡西弓道クラブはその本拠を西体育館に置いているが、その道場の紹介です。
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2006年3月 4日 (土)

名所旧跡その1小戸地区です

姪浜の名所旧跡の小戸地区の案内です。

小戸地区
   場所は姪浜北西の海岸沿い小戸公園の小戸山(実際は小高い丘)周辺で、神功皇后の新羅(しらぎ=朝鮮)遠征にまつわる伝説と歴史に彩られたところで、更に「小戸」は神主が神前で祝詞(のりと)をあげるとき冒頭に口にする「祓詞=はらいことば」の中のイザナギ・イザナミの神が禊をしたところ、との伝説も残されています。       

 <小戸大神宮>  

 場所は小戸公園内の中ほどにあり、筑前風土記による        odojingu
「筑紫日向小戸橘之槙原」とあるのはこの小戸ではないか
、といわれています。  伊那那岐(いざなぎ)の神が黄泉(よ
み)の国から帰り「禊=みそぎ」をしたとする伝説の地で、警
固三神・志賀三神・住吉三神・天照大神などが出現したと
する、由緒の地でもあります。

  当時は小さな祠であったが、1725年(享保10年)黒田藩6代継高により社殿が建立されました。s2040odokoen

  祭神は、天照皇大神(アマテラスオオミカミ)
       手力雄命(タチカラオノミコト)
       拷幡千々姫命(タクハタチヂヒメノミコト
  ここは、天孫降臨はイロイロの土地でいわれて  
昭和初年頃の写真 この写真を見る
福いるが、岡説のところでもある。神功皇后の上陸地にからむ、鎧
掛け松・安産石などがあります。



     (数百年も経っているので今はその松も新しく植え変えられています。更に安産石は宇美町で神功皇后が応神天皇を出産したとありますが、神功皇后が上陸直後にこの石に腰掛けた、との伝説があります。)  
IMG_0603
   
<御膳立(ごぜんたてあるいは御膳岩といわれています) >

  北側の海岸突端の手前のヨットハーバー側にあり、三韓遠征
の前 祝として宴を張ったあとが平坦な岩にお椀・皿・剣の形とし
て残り、御膳の上にあたかも載っている、と言い伝えられこの名前が_017
あります。また、小戸神宮の社殿前の松の木に鎧をかけた
ことから「鎧掛けの松」という伝説も残っています。この御膳立は
砂岩により形成されちょうどそのような形になった(見えた)事から
の言い伝えでありますが、現在では海に沈んだり 松の木も相当の年
数が経っているので枯れたりしていて当時のものを
見ることができ
ません。    
              昭和初年頃の写真の紹介      この写真を見る
     

 <安産石>anzanishi

 小戸大神宮の境内の(ちいさな)本殿の後ろ手に「安産石」があ
ります。
これは、神功皇后か゜三韓遠征の帰途、上陸して身重の皇后が
腰掛けて休息したと言い伝えられています。

    <小戸妙見岬>myokenmisaki

  ずっと昔ここに「一ノ堂」という石質の祠がありましたが、その
後放置 され跡形もなくなったとあります。ただ、数年前のそれも
21世紀に入って、偶然に霊を感じたと言われる人が中心になっ
て、信仰する人々の有志がここに龍神社を建立したとの記録が
ありまして、最近は毎月の縁日には多数の方が集まりお参りす
04 ようになっています。04

社の天井には、放置されていたその石室
の一部が使われています。

 <鎧掛け松>akomematu

 神功皇后が三韓遠征の前に「あこめの浜」にあった松の木に鎧
を掛 けて干したとあり、当時の松は当然に年数からも考えて枯れ
果てていますが、その代わりとして現在は若木が境内に植えられ
ています。


ただ、別の歴史本によれば、神功皇后が現在の前原市の染井山の熊野権現に戦勝を祈願して、山上の井戸水に威(おどし)の鎧を浸して「異国を討って勝利を得るならば、白糸を緋色に染めたまえ、もし勝利でなければもとの白糸のまま置きたまえ」と念じたところ、たちまち緋色に変わっていたので皇后大いに喜びこの緋縅のよろいを山上の松の木にかけて干した、と言ういわれがあります。そこで鎧を緋に染めた井戸を「染井」、鎧を掛けた松を「鎧掛け松」と名づけられたとあります。  これは、西区202号線の周船寺から南に数百メートル入ったところに、染井の地名と染井神社がありますが、そこのことと思われます。

  <砲台跡>hodaiato

 小戸公園の山の北端にあり今から120年前の慶応元年(西暦19
**年)尊王攘夷が叫ばれていた維新時に黒田藩が外国船を打ち
払うために博多湾に15箇所の砲台を築きましたが、その跡である
石垣部分が今うっそうとした草木の中に残っています。

  
(現在はホームレスの人がテントを張って住んでいるようです。)hodaiato
東西60間(約109メートル)・南北30間(約54メートル)ほどで大砲が
4門備えられていたといわれていますが、試し撃ちはあったが本
番は無かったようです。
その後の古い地図などでは、現在の地名の小戸1~2丁目などが
「砲台町」などの地名で残っていたようです。

   s2040odokoen

    小戸公園の海岸の新旧(埋め立て前)の写真
         埋め立て後は上の砲台跡の写真を参照  

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