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12月5日姪浜愛宕神社の火渡り

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    2012年12月5日に姪浜の愛宕神社で恒例の「火渡し」がありました。 その時の模様です。

2015年住吉神社の玉せせり祭

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    2015年1月3日の住吉神社の「玉競り祭」です。

2016年の住吉神社玉せせり

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    2016年1月3日姪浜住吉神社の玉せせりがありました。

愛宕山への道

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    12月上旬に愛宕山に登った時の写真類です。

福岡西弓道場の紹介

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    福岡西弓道クラブはその本拠を西体育館に置いているが、その道場の紹介です。
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2006年3月 7日 (火)

名所旧跡その2愛宕山周辺です

愛宕山周辺

   について、ご紹介します。

愛宕山周辺
   
室見川下流西岸にある標高60メートルの山で、古墳・九州探題や愛宕神社など歴史上いわれや話題ある場所です。
    愛宕山から百地方面を望む古い写真        この写真を見る 
       〃   豊浜・早良炭鉱本坑あたりを望む   この写真を見る


  
<愛宕山古墳>
 古墳については、愛宕山神社の東約500mの愛宕山の先端部にありましたが、1989年に発掘調査後にその後の土取りのため消滅しました。
直径10m前後高さ2m以上の盛り土と小形に作られた両袖式単室の横穴式石室があったと言われていますが、破壊が進み遺物はほとんど見つからなかったと言われています。現在は面影はなく記録があるだけです。

  <愛宕神社>
  愛宕2丁目にある愛宕山は、標高62メートルで山上に愛宕  atagojonjya1
神社があり、もともとこの山は鷲尾山といいました。ここに鷲
尾権現神社があり黒田藩2代目忠之
(ただゆき)が藩内に愛宕
神社がないのを憂い、寛永11年(西暦1634年)山城国(現在
の京都)愛宕権現をここに勧請して、鷲尾権現社があったと
ころに愛宕神社を持ってきたことから現在に至っています。
従って、正確に言えば鷲尾愛宕神社と呼ぶが正しい、というatagojinjya2
説があります。日本三大愛宕の一つである福岡の愛宕神社
は、禁煙・禁酒そのた禁断の神として有名とあります。この
社殿のある場所は蒙古襲来後に北条時宗によって築かれ
た「鷲尾城跡」といわれていますが、それらを説明するもの
は今や現地にありません。

祭神は、天忍穂耳尊(アメノオシホミミノミコト)伊邪那岐尊(イザナギノミコト)火産霊神(ホムスビノカミ)伊邪那美尊(イザナミノミコト)であり、一般には愛宕様と呼ばれる。

       愛宕神社の境内から、福岡市内や能古島や志賀島をみる景色は素晴らしいものである。

  <参道>
 愛宕山南側の旧202号線からの参道は284段の石段があり「おとこ坂」と言われ、東側のだらだら坂は「おんな道」と言われていました。
参道にはその他におとこ坂のさらに西側の蛇岩の横からの石段のものと、愛宕山の反対側の北側からの観光道路といわれるものの合せて4つがあります。IMG_0643

  *大山祗神社(おおやまつみじんじゃ)
 愛宕山北側の観光道路といわれるドライブロードを登っていくと
駐車場(神社北側入り口)の手前の最後のヘヤピンカーブの左手
上に、現在は荒れ果てていることもあり危険のため立ち入り禁止
になっていますが、これが「大山祗神社」といわれています。
この神社は山の神であり、かつて愛宕山の北側と小戸公園の横
の第二鉱と合わせた、早良炭鉱(姪浜炭鉱)の守り神でありました。
  
  
葉室豊吉の顕彰碑
 大山祗神社の裏手に高さ3メートル余の石碑があり、これは早良
炭鉱創業者の葉室豊吉の功績をたたえた石碑がたっている、とあ
るが立ち入り禁止のため遠くからしか見ることが出来ないので写真
でも判別不能である。
  最近は雑木が整理され見通しが良くなった為、道路から石碑を
見上げる事が出来るようになっています。

  <浦山城跡・探題塚>tandaizuka3
 室見川下流西岸の愛宕山に位置し「浦城」と呼ばれ九州探題
=鎮西探題があった場所です。愛宕山はその昔鷲尾山と呼ば
れ、鎌倉幕府は蒙古襲来以降防御強化のため1293年鎮西探
題を設けました。
初代の探題は北条時定(北条時宗の叔父)で姪浜に奉行所
を置き愛宕山(鷲尾山)に城を築き、博多の櫛田神社の近くにtandaizuka1
探題館を置きました。この愛宕山の城は能古
島や可也山ののろし台とも連携しており、異
敵侵寇に備えてのものであった、と記録されて
います。

 1333年5月大友・少弐・島津が探題館を襲い、北条
英時を攻め鷲尾城は落城した。その跡が探題塚=探
題神社とあります。この探題跡には探題塚があり渋川
尭顕の墓碑で「鎮西将軍日顕大居士」と銘刻されてい
ます。
 現在の探題塚は万正寺山にあるとの記録があります。

  <武徳人の塚>
  愛宕山の西方浦山にあったとされています。
古墳で、砂岩の組み立てで、長方形入り口約70㌢高さ1m30㌢その上に石碑があるとされています。
    表碑面「出世武徳神」  約180年前の1820年前ごろ発掘。tandaizuka2

 

  <蛇岩>                               

 室見川から旧202号線と旧唐津街道に分かれているところがあり、    jyaiwazenkei
右手が旧唐津街道で、そこを100メートルほど西に行入ったところに、
参道入り口があり、その横に「蛇岩」があります。姪浜特有の砂岩
が大きく侵 食された4メートル半程のくぼみが2つあって、高さは1m
20~40㎝を遠くから見ると蛇の斑紋のようで大蛇が横たわって見
えることから、蛇石・蛇岩とよばれるようになりました。
jyaiwaleft
 昔々、
いつのころか室見側沿いにある竹浜・宝来という二つの村が、愛宕山を挟
み対立していました。互いの村の縁組も厳しい状況でありました。ある日美しい娘
が「姫百合」を探しに山に入り、猪を追って谷に落ちた相手の村の若者に出合いま
した。傷の介抱をしているうちに二人は恋に落ちました。結局、実らぬ恋、村人から
海に投げ込まれましたが、若者と娘は海中で蛇に化身したと言ういわれから、このSTB_0590
伝説が残っているそうです。

   

 <ごうづいけ=放生池>
 愛宕神社東参道の女道の上り口右側に小さな池があり、それ
が「ごうづ池」と呼ばれていました。かめのことをこのあたりgouzuzenkeiでは「ゴ
ウズ」と言うらしく、昔から早良地方の池や川にいた亀を池に放ち
功徳した放生池だと言われていました。今や参道と住宅の隅に追
いやられ、言われないと気づかないほどでありました。
 

 2004年11月にとうとう埋め立てられてしまって現在は駐車場になってい
てその面影はありません。(同年9月ごろに撮影したものです)gouzuike
 埋め立てのときは、その池にいた亀は放流されたとのことです。

 

<伏見稲荷など>
  愛宕神社を中心に他に社や稲荷などがあります。

  *宇賀神社
  愛宕神社の正殿の左側(西側)にあり、飢えや寒さから人を救う福神として富貴栄達を祈る人が多いといわれる。

IMG_0599

    <岩窟弁財天>
  愛宕山の北側の麓というかがけ下に、砂岩の侵食によって
出来たと 言われる洞窟に弁財天が祀られています。弁財天は、
弁天さまと呼ばれて学問技芸の神で七福神の中では唯一の女
神であります。
明治時代は、愛宕山北の下まで海が迫っており潮が引いた時だ
けこの岩窟の前の波打ち際を通り抜けられたと言われています。IMG_0600
  

    現在の愛宕4丁目の愛宕小学校の裏側にあります。

 

    

 <愛宕山ケーブルカー跡>IMG_0594
 
愛宕山頂上の愛宕神社の入り口まで一気に上るケーブルカー
が、男坂の西の現在は「碇整形外科」の所に上り口がありました。
昭和3年から昭和18年まで運営されていましたが、経営や戦争
時代と言うこともあり休止撤去されました。兵器の鉄材として転用
されたといます。その説明看板が愛宕山頂上の愛宕神社入り口
反対側のお茶屋の横に上り口があり掲示されています。
cable
   右写真が掲示看板

   古いケーブルカーの写真             この写真を見る

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