早良炭鉱(姪浜炭鉱)!!
姪浜にあった「早良炭鉱」は臨海炭鉱として交通運搬に便利な立地条件と良炭質であった事から戦前・戦後大いににぎわった。
大正3年に創業し、石油進出により衰退し閉山をする昭和37年まで昭和8年には工員数2,200人、家族を含めると8,000人という規模まで栄え20万t/年の採炭記録があります。
愛宕山の海側の豊浜に本坑があり、小戸神社(小戸山)東側...現在の「西部水処理センター」あたりに第2抗があって、それぞれの海側に積み出し桟橋があり旧国鉄筑肥線に引っ込み線がありました。
他と同じで石油の進出に伴って衰退と閉山を余儀なくされましたが、その後掘り出された後のボタ山などは海岸に埋め立てられて、当時の海岸線が数百メートルから㌔まで沖に出ていきました。
*その後の早良炭鉱は「株式会社 サワライズ」になっているようです。
○姪浜ドライビングスクール
○早良病院
○小戸ゴルフセンター
○介護事業
小戸山(現在の小戸神社がある小山)から見た第二抗の社景
○左方前方は丸隈山(旧姪浜漁港の対岸)更に右遠方は愛宕山と思われます。
○現在はコーナンなどのショッピングセンターになっています。
○更に海側です。
石炭積み出しの桟橋が博多湾にせり出しているのが見えます。
現在では大々的にむ埋め立てられて、この場所は小戸公園や西部水処理センター・マリノアシティなどに変わっています。
右上方の海岸は「あこめの浜」更に出っ張りは丸隈山です。
○陸側です。左方に愛宕山や右遠方に油山が見えます。
ショッピングセンターと駐車場並びに住宅団地になっています。
現在の様子
○左は小戸山で右は会社跡になります。
○前の写真の東側
会社屋跡や社宅跡です。
○更に東方です。
ゴルフ練習場は早良炭鉱の引継ぎ会社(サワライズ?)
早良炭鉱の本坑
○愛宕山の海岸側の山下にあった本坑です。遠方には能古島が見えます。
手前には炭鉱住宅が見えます。
遠方の左は能古島、右に志賀島更に右に海の中道です。
手前には炭鉱住宅が見えます。
○現在の炭鉱跡....愛宕浜団地です。
遠方の左は能古島、右に志賀島更に右に海の中道です。
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姪浜炭鉱とは早良炭鉱のことと思います。早良炭鉱はなくなりましたが、後継会社は「サラライズ」といい病院、自動車学校など経営しています。同社に尋ねれば佐々木文二さんのことはわかると思います。
投稿: 古澤洋一郎 | 2019年2月11日 (月) 16:41
わたくしは埼玉県志木市に住んでいる佐々木と申します。
「昭和4年福岡市市会議員 博多商工会議所議員 早良郡町村会議員 当選者写真帳」の中で姪浜町議員佐々木文二がありますが、私の祖父です。祖父は添田町大字庄の出身で、最初にここで炭鉱を経営したそうですが、調べても詳しいことはわかりません。姪浜炭鉱は祖父が経営していて、景気が良かったと叔父に聞いたことがありました。今は年寄りが亡くなり、祖父の業績がわかりません。姪浜炭鉱を調べてもわかりません。佐々木文二について資料があれば教えていただけないでしょうか。
投稿: 佐々木秀文 | 2017年9月 4日 (月) 18:18