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12月5日姪浜愛宕神社の火渡り

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    2012年12月5日に姪浜の愛宕神社で恒例の「火渡し」がありました。 その時の模様です。

2015年住吉神社の玉せせり祭

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    2015年1月3日の住吉神社の「玉競り祭」です。

2016年の住吉神社玉せせり

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    2016年1月3日姪浜住吉神社の玉せせりがありました。

愛宕山への道

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    12月上旬に愛宕山に登った時の写真類です。

福岡西弓道場の紹介

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    福岡西弓道クラブはその本拠を西体育館に置いているが、その道場の紹介です。
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2019年4月12日 (金)

舞鶴公園の花見 !!

331()に舞鶴公園の桜花見に行ってきました。

満開ごろと聞いていたのですがまだまだでしたネ。

 

地下鉄で約10分超、大濠公園駅下車し陸上に上がった目の前に福岡城跡です。

 

この福岡城は黒田藩52万石.....明治維新時は47万石らしいのですが、かのNHK大河ドラマでもあった軍師官兵衛の息子長政が関ヶ原の合戦の働きにより家康から拝領して慶長6(1601)から黒田藩12代まで約270年間にわたり居城としていた城です。

城ですから当然のごとく天守閣あり本丸・二の丸・三の丸御殿とあり配置は博多湾からの攻撃に備えての造りのようにみえます。

お堀は明治通り側、大濠池そして護国神社前にもわずか残っているのですが、文献によると大濠池は現在の倍ほどあって、現在では埋め立てられてしまっているのですが赤坂・天神そして那珂川迄延びていたとの事です。

矢張り広大な堀と城構えであったようです。

 

 この福岡城は、明治維新後に数年の間は県庁として使用してその後は昭和20(1943)の終戦まで西部方面司令部・歩兵第124連隊(明治19年~昭和12年は第24連隊)という軍事施設がおかれていたようです。

 

終戦の直前の619日から20日の真夜中に福岡大空襲がありこの施設も被害を受けて特に黒田藩の文献が焼失してしまいました。

それらの文献が焼失してしまったこともあってお城の天守閣の基礎はあるもののその造りも不明だし天守閣そのものがあったかどうかも現在では不明・謎のようです。

諸説の中には、大阪城天守の改築の際に黒田藩も受け持っていたようですがその時に移築したのではないかとのものがあります。

また、歴代の藩主の中には幕府から睨まれていた時代もあって取り潰しを恐れて黒田藩の身の潔白を証するために天守閣を潰したのかもしれないという憶測もあります。

いずれにしても福岡大空襲で黒田家の文献が焼失した今となっては想像でしかありません。

基礎と土台から推測して五層(四層の説あり)の天守だったのではないかとの説が有力のようです。

その天守台に登ってみました。

天守台からは四方の福岡市内が展望できましたが、これに天守閣があってその五階上から眺めたらもっとすごいのではないでしょうか!!

なぜかしら天守台のお客の3分の2は日本語でない人々の声が飛び交っていました。

天守台下の本丸跡です。

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天守台から西北を望む。
大濠が見えてその先にドームがあります。

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天守台から本丸跡の桜群です。
右側が天神方面です。

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