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12月5日姪浜愛宕神社の火渡り

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    2012年12月5日に姪浜の愛宕神社で恒例の「火渡し」がありました。 その時の模様です。

2015年住吉神社の玉せせり祭

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    2015年1月3日の住吉神社の「玉競り祭」です。

2016年の住吉神社玉せせり

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    2016年1月3日姪浜住吉神社の玉せせりがありました。

愛宕山への道

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    12月上旬に愛宕山に登った時の写真類です。

福岡西弓道場の紹介

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    福岡西弓道クラブはその本拠を西体育館に置いているが、その道場の紹介です。
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2020年2月27日 (木)

昭和3~40年代の姪浜中(現在の姪北小)方面

昭和33年の姪浜中方面のの写真です。
当時は姪浜中でしたが、、この地の人口が増えたことで校区編成替えがあり現在では姪北小になっています。

中ほどの小山は丸隈山(志々岐神社=毘沙門天)が見えますが、当時はまだ山(姪浜砂岩)が削り取られていなく健在です。
その手前が姪浜漁港になります。

丸隈山の左方にはまだ姪浜塩の汐入池が残っています。

その先に中隈山・小戸そしてその隣には早良炭鉱の第二鉱のボタ山が見えます。
中隈山・小戸山の手前には小山があって、当時と比べると現在では大きく削り取られています。
  (小戸ゴルフセンターがある北川の小山)

その左側には炭鉱住宅でしょうか?戸建て住宅が整然と並んで見えます。

その先には松林が見えています、元寇防塁跡がある小戸公園の松林そして左側にズーっと生の松林が続きます。
先の方にはうっすらと糸島の小山が、さらに右端..姪浜の対岸になる能古島があります。

332020

 

昭和40年代の九姪浜中方面です。

校舎が建て替えられています。

汐入れ池が埋め立てられて「姪浜北団地」が新しく建てられています。
中央に水道水ポンプ塔が......ボタ山がかすかにみえています。
小戸も愛宕浜もまだ埋め立てられる前だと思います。
この海岸側方面の埋め立て後は「西部水処理センター」「マリノアシティ」に変わっていきます。

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2020年2月16日 (日)

旧姪浜漁港周辺の様子と以前の写真紹介!!

丸隈山・志々岐神社(毘沙門天)の対岸は、博多湾側の埋め立て前は漁港で今でも「姪浜魚市場」があります。

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丸隈山・志々岐神社(毘沙門天)の神社のある小山の上から撮影したと思われる昭和30年代前の古い写真です。
左端(手前)には、能古島渡船場の桟橋がありその右側に漁港があります。
さらに右側(漁船の係留が途切れているところ)に現在もある魚市場です。
その後方一帯には旧姪浜集落が広がっています。

中央の小山が愛宕山で、姪浜石の削岩途中の岩肌が見えます。
愛宕山の左側にある三角山が早良炭鉱のボタ山になります。

さらにズーッと左側のちょっとした森が見えるのが現在の西公園で、
この後は一帯は広大な埋め立て地になって変貌します。

右側前方先の山が油山方面と思われ、その手前は当時は広大な田園地帯です。

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現在の姪浜魚市場です、建物の入口には「旧町名 網屋町」の名札がかかっています。


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昭和30年代の古い時代の写真です。
ちょっと上流から、右に現在もある「龍神宮」が見えます。
その先に魚市場です。
先の方には、現在ではマリノア大橋やマンション・建物が林立していますが当時はマバラです。
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水揚げ後でしょうか?  近くの人ものぞき込んでいます。
対岸の丸隈山はまだ削り取られる前の山が残っています。
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ちょっと数メートル下流の漁船の係留や時代の車のトランク部分が見えます。
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ちょっと上流からの対岸の様子です。
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反対側の下流=河口=博多湾からの様子です。
何かのお祭りの様子の古い写真です。
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同じく下流=河口からの作業の様子と風景です。
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当時の能古渡船場です。
中央前方に、当時の早良炭鉱のボタ山、左に伸びているのが第一抗の桟橋です。
右奥が愛宕山、その右手前が姪浜中があり、海岸の護岸は現在では
ベスト電器・グッデイ店舗敷地の塀代わりになっています。
   (マリナ通りの歩道との堺です。)
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この辺りは姪浜3丁目ですか、昔は「網屋町」という町名で
現在でも福岡市東区の箱崎の筥崎神宮の近くにも同じ町名があります。
「網」がつくといえば、有名なのでは東京都内の「小網町」が有名ですが
江戸時代に時の将軍がらみの命名ですが、
これらについては通じて漁港・元漁村ですね。

 

 

 

2020年2月 9日 (日)

丸隈山の周辺

丸隈山の周辺の説明です。
  
昭和38年の手書き地図です。

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1、丸熊山・志々岐神社(毘沙門天)

丸隈山という表示がありますが実際の大きさ・高さはマンションでいえば5~6階程度の高さの小さな丘です。

 (1)昔の丸隈山はもう少し大きかったのですが、姪浜砂岩を切り出したこともあって規模は小さくなっています。
   2つの頂になっていて、陸側の方に現在でも(志々岐神社)毘沙門天があります。

   社と本殿.....と言っても規模は小さな祠です。
   鳥居は簡単に手が届いて社は仏壇ほどの大きさで近在の信者の方が守っているのだと思います。

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   少し手前からの撮影です。
  Img_0049_20200209093301

 上り口は小さな通路です。
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 (2)丸隈山からの展望

  昭和30年代のあこめの浜がマダ埋め立てられていなかった時代です。
  左手前の塩入池はこの時はないようです。直下は元寇防塁です。
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   昭和20年代は左に塩入池や削り取られる前の小山や先にはボタ山です。
   おこめの浜もまだ埋め立て前の健在です。
        20

  志々岐神社(毘沙門天)の周りは樹々が生い茂って、姪浜周辺の景色は見えにくくなっています。 
  左には団地の水槽塔があるのですが映っていません、左下が元寇防塁跡の公園です。
  左中ほどに中隈山(砲台跡)があり右に西部水処理場さらに右遠方には能古島です。
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  南西方向の写真です、小戸ゴルフ練習場のネット先の方は糸島の山々です。
  Img_0052_20200209132401  

  反対側の北東方面です。
  下が名柄川・昔の姪浜漁港で、その先に愛宕浜・豊浜団地方向です。
  その右前方のビル群は百道方面です。
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  (3)下から見た丸隈山
  元寇防塁跡から見た丸隈山です。
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  対岸の旧姪浜漁港・市場側からみた丸隈山です。
  Img_0015    Img_0023_20200209133601  
  昭和30年代の同じ撮影場所の風景です。
  30
  河口...マリナ大橋の下あたりからの丸隈山です。
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  対岸からまともに見た丸隈山です、山の真ん中ほどに毘沙門天の鳥居が
  かすかに見えます。
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  マリナ大橋から見た右に丸隈山、左に旧姪浜漁港・市場です。
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