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12月5日姪浜愛宕神社の火渡り

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    2012年12月5日に姪浜の愛宕神社で恒例の「火渡し」がありました。 その時の模様です。

2015年住吉神社の玉せせり祭

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    2015年1月3日の住吉神社の「玉競り祭」です。

2016年の住吉神社玉せせり

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    2016年1月3日姪浜住吉神社の玉せせりがありました。

愛宕山への道

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    12月上旬に愛宕山に登った時の写真類です。

福岡西弓道場の紹介

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    福岡西弓道クラブはその本拠を西体育館に置いているが、その道場の紹介です。
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2020年4月22日 (水)

昭和40年(1965)代の姪浜上空からの写真!!

昭和40年(1965)代の姪浜上空からの写真です。
全体的に白くみえるのは積雪直後のものと思われます。

1965s40

小戸公園周辺

 左上、妙見岬です、その下には神功皇后の伝説で出てくる御膳立です。

その右に小戸山・中隈山(砲台跡39m)その右側海辺には早良炭鉱第二鉱の石炭積み出し用の桟橋が残っているのが見えます。 

(早良炭鉱は昭和37(1962)に閉山)

昭和60(1985)代に埋め立てられて消えていくことになります。

  

姪浜港周辺

 写真中央の海岸に姪浜港があり、その名柄川河口に丸隈山(毘沙門天28)と、西に延びる海岸線は姪浜の地名の由来ともなる「衵の浜=あこめのはま」です。

その内陸に当時は美味しいと知名度もあったといわれる「姪浜塩」が採れていた汐入池が見えます。

 (現在では埋め立てられて小戸北団地に変わっています。)

名柄川上流の少しこんもりしたところが興徳寺山です。

 

愛宕山周辺

 姪浜港の右側(東側)に姪浜中そして少しこんもり部分が鎌倉時代に縁の探題塚です。その東側は姪浜小があります。

更に右の東側に愛宕山の一部の当時名の竹の山です。

その下(南側)の左下から右下に延びている線の様に見えるのが明治通り….当時の路面電車道路です。

その下(南側)に白い空き地の様に見えるのが姪浜ドライビングスクール…...当時は姪浜自動車教習所で昭和37(1962)開設ですからオープン直後です。

 

姪浜駅周辺

 姪浜ドライビングスクールの横から左(西側)に伸びている線が国鉄筑肥線です。

その線を左 (西側) にいくと姪浜駅があります。

その下(南側)には現在の姪浜中央公園がある五塔山(御塔山当時は標高27m)が見えま
昭和40年(1965)代の姪浜上空からの写真をアップします。
全体的に白く見えますが、積雪直後のものと思われます。

 

2020年4月19日 (日)

昭和33年ごろ上空から姪浜・室見・百道など 

60数年前1958(昭和33)の姪浜・室見・百道など上空からの写真です。

1958s33  

小戸公園

 写真の左上には、小戸公園(小戸山)・中隈山(39m)そして十郎川下流の
ヨットハーバーはまだできていない時代です。

最左端上に飛び出たところに妙見岬その下が御膳立です。

その右に早良炭鉱の第二鉱と海にわずかに出ている第二鉱の桟橋と左にボタ山です。

その下に整然と並んでいる炭鉱住宅です。
(
その昔この辺りは砲台町と言われていた。)

その右に汐入池があり横に流れる名柄川….この河口の左側に丸隈山(28m)
毘沙門天でその付け根に汐入れ海水の水門がありました。

丸隈山の左に元寇防塁と姪浜地名の語源になる海岸のあくめの浜です。

 

姪浜旧街地

名柄川上流のくの字に曲がったところに興徳寺山があり、右の方に連なる白い道が
明治通り(露面電車道)でここから枝分かれ(海側)に旧唐津街道....
右に平行して進み再度交わる場所が路面電車の電停(竹の山下停留所)そして姪浜小学校前です。

その姪浜小の小山を超えた海側の白く見えるのが姪浜中のグラウンドです。

 

海岸線に縦線に見えるのが本坑の炭住と思われ、現在ではグッデイ・ベスト
電器あたりですが、その道路側との境の塀は当時の防波堤が残っています。

その右側には早良炭鉱本坑のボタ山や整然と並んだ炭鉱住宅が見えます。

 

その右の川が室見川です。

室見川の東側....早良区

室見川を右(東側)に渡り、川口に中学校その下の扇形の建物がもとの福岡刑務所
さらに右(東側)に修猷館高校です。

その下(南側)にちょっとこんもりが祖原公園(33.2m)で、最下段に右(東側)
から左(西側)にある線は国鉄筑肥線です。

筑肥線に沿って室見川までの下(南側)に一面の田圃・田園地帯ですが、
現在では原・室見・小田部の住宅地と化しています。

 

姪浜駅周辺

筑肥線で室見川を渡りハート型の少しこんもりは五塔山(御塔山)と言われた現在では
姪浜中央公園で、その上(北側)に姪浜駅です。

園姪浜駅から右(東側)にへの字に曲がる所から地下に現在では地下鉄が潜っています。

その分岐の所から右上(海岸の方)に早良炭鉱の引っ込み線が一時あったようです。

 

五塔山(現在の姪浜中央公園)の西側の現在の西区役所・ウエストコートあたりは
当時は池だったとのことです。

2020年4月 5日 (日)

愛宕山のケーブルカー

愛宕山のケーブルカーは昭和3年((1928年)に九州初(日本で2番目)開業。
昭和18年(1943年)太平洋戦争たけなわの物資不足の金属供出により解体し廃業まで約15年間の運営でした。

「欲しがりません勝つまでは」のあの狂気じみた戦争でした。
現在でも話題になるかの国のように、
日本でも当時は洗脳された国民がこぞって鉄や貴金属などの供出の一環でした。

ちょうど現在の室見川から西に愛宕山のぼり参道その丁度
現存の「碇整形外科」がある場所辺りが乗車口だったということです。


愛宕山下の乗り口からの写真です。
Photo_20200403140201

山上の方からの撮影です。
2020329

下側のケーブルカー乗り場の前には電停「愛宕山下」でした。
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愛宕下の電停から西の姪浜寄りの電停「竹の山」から左が愛宕山です。
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当時のケーブルカー乗り場から若干東側の現在の様子です。
Img_20200301_141423

 

2020年4月 3日 (金)

愛宕山上から室見川方面...昭和30年代

昭和30年代(1955年代)愛宕山の山上から南東方面(室見川・油山・内野方面)を撮影した写真です。
不確かですが、うっすらと積雪後の景色です。

右中央から左中ほどに室見川の鉄橋が見えて通っている線は国鉄時代の筑肥線です。

現在のこの元筑肥線の周辺では住宅・マンションが一体に広がっていますが、
当時はマタマダで小集落以外は一面の田園地帯です。

室見川を渡った左には室見団地(予定地)その先に「原」辺りの住宅もまばらです。

さらに右上にいくと「有田」辺り、その右側「小田部」辺りにも住宅集落はまばらです。

室見川が右から左に流れ、上流は左側にうねって山裾「内野」方面に。

筑肥線の上側(南)は「福重団地」辺り、更に右上には飯盛山です。

撮影された写真の筑肥線の見え方から、愛宕山の山上撮影でも室見川よりの昭和初期に設置されていたとする、
ケーブルカーの頂上の辺りから撮影したのではないかと推測されます。

30_20200403111501

しゃしんにある旧国鉄筑肥線は現在では筑肥新道として一般道路になっています。
その鉄橋の室見川手前から逆に愛宕山方面を撮影しました。
当時と比べると現在では全面マンションや住宅で埋め尽くされて
愛宕山もすっかり見えない有様になっています。

頭の方に愛宕山がわずかに見えます。
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同じく建物の頭にわずかに見えます、右には鉄橋に代わる自動車道の橋が見えます。。
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現在の自動車道の橋です、橋の欄干にはSL汽車の車輪を模ったものになっています。
河川敷は遊歩道に整備されています。
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