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12月5日姪浜愛宕神社の火渡り

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    2012年12月5日に姪浜の愛宕神社で恒例の「火渡し」がありました。 その時の模様です。

2015年住吉神社の玉せせり祭

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    2015年1月3日の住吉神社の「玉競り祭」です。

2016年の住吉神社玉せせり

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    2016年1月3日姪浜住吉神社の玉せせりがありました。

愛宕山への道

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    12月上旬に愛宕山に登った時の写真類です。

福岡西弓道場の紹介

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    福岡西弓道クラブはその本拠を西体育館に置いているが、その道場の紹介です。
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2020年5月24日 (日)

唐門と博多塀

唐門と博多塀について述べます。

 興徳寺には旧202号線沿いの敷地の境界(寺門に向かって右側)に博多塀と、
寺門に入り本堂の庭に入る所に唐門・博多塀があります。
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 博多塀の説明です。

博多塀は豊臣秀吉が九州平定後に進めた博多町割り(当時の戦災復興)
の際に生まれた土塀です。
秀吉が行った九州平定の前には、この地商人の街は大友・毛利・島津たちの
九州制圧争奪戦に巻き込まれて見渡す限り焼け野原になりました。
秀吉の大陸出兵の物資補給基地として博多を重要視したのと地元の商人・町民
たちの思い・願いが相まって戦火・兵火で焼け残った石や瓦等を塗りこめた「土塀」を造った。神社や仏閣や豪商の屋敷に数多く築かれて「博多塀」と言われた。
現在では、他に櫛田神社・御供所町の聖福寺や妙楽寺に復元された
博多塀をみることができます。

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 唐門の説明です。

 扁額のある寺門をくぐっておそらく住居部分=母屋だと思われる建物を
正面に左側に石畳を歩くと本堂・池のある庭に行くところに唐門と博多塀があります。
唐門とは、屋根に唐破風(からはふ)がついた門で鎌倉時代以降室町時代・桃山時代に、
社寺・鄭館などに広く用いられた、と言います。
唐破風とは、中央部が凸型に盛り上がり両端部を凹型の曲線状にした
破 風(屋根の妻側=三角側)を言う。

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2020年5月19日 (火)

興徳寺

興徳寺は旧唐津街道(=旧202号線)名柄川に接する場所にあるお寺です。

臨済宗大徳寺派に属する禅寺で、鎌倉時代に九州探題の北条時定が
1260年(文応元年)に建立する。

南浦紹明(大応国師)は北条時定の女(むすめ)の妙恵禅尼に請われて
1270年(文永7年)10月28日に興徳寺に入山し開祖となります。

在住は1972年(文永9年)12月24日までの2年2か月でした。

1260年 文永元年  北条時定建立
1267年 文永4年  興徳寺の開基式を行う
1270年 文永7年   々 に入山し開祖となる
元からの侵略があることを幕府に警告発信
1274年 文永11年  元寇 文永の役
1281年 弘安4年   々 弘安の役

山号を海晏山で寺院名を興徳寺としました。
   山号とは、中国で禅宗が盛んになった唐の時代から用いられるように
   なったもので、寺院のまえに冠する称号のようなもので多くの寺院が
   山の中に建てられたことから、その山の名前を寺院名の前に付けるよ
   うになった、とあります。

 興徳寺のある小山を昔は興徳寺山、横に流れる川も現在では名柄川ですが
以前は興徳寺川と呼ばれ、旧202号線にある橋は興徳寺橋と現在でも呼ばれています。

  山号で有名なものは、比叡山延暦寺・東叡山寛永寺があります。

道路側からのお寺の入り口です。
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門です。
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扁額です。
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興徳寺の説明看板です。
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2020年5月10日 (日)

姪浜駅前のモニュメント!!

姪浜駅前(南側)の正面に、大きなモニュメントがあります。

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大きな波形に中央部分にウサギがついています。

姪浜の港に伝わる龍王うさぎの伝説をモチーフにして作成したものです。

日本の仏教は、もともと中国から渡来したものですが、当時は中国のお寺に
命懸けで船で渡り数年にわたって修行して、帰りも命懸けで船で帰国したようです。

嵐にあったりして船が難破し、日本に二度と帰ってこれなかった修行僧も多数いたようです。

その修行僧の中に「大応国師=だいおうこくし」という高僧が、中国宋のお寺に
8年間の修行を経て帰国するのですが、その帰国途中の山中でおおかみに襲われていた
ウサギを助けました。助けたウサギを船に乗せて帰国途中に玄界灘で暴風雨にあって
しまいました。
今にも船が沈没しかかったときに助け乗せていたウサギが荒れる海に身を躍らせたところ
荒波がピタッと収まって無事に姪浜の浜辺に帰ることができたそうです。

その時浜辺で空を見上げてみるとウサギがきらきらと光り輝いて舞い上がり、
やがて龍王の姿になって天に消えていった、と説明されています。

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 大応国師とは死後に天皇から賜ったもので「南浦紹明=なんぽしょうめい」は、
姪浜の名柄川横にある興徳寺に請われて開山したという記録があります。

 

南浦紹明の経歴


西暦


邦歴


内  容


1249年~


建長元年~


鎌倉の建長寺にて学ぶ


1259年~


正元元年~


宋に渡り修業


1267


文永4


建長寺に戻る


1270年~


文永7年~


姪浜興徳寺の開山


1272年~


文永9年~


博多崇福寺の住持


1304年~


嘉元2年~


京都の万寿寺に入る


1307年~


徳治2年~


鎌倉の建長寺の住持


1309


延慶2


75歳で死去


 


 


後宇多上皇から「円通大師」の国師号を賜る

 

2020年5月 3日 (日)

姪浜海岸埋め立ての変遷!!

姪浜の海岸はもともとは愛宕山の裾野から西に現在の姪浜マリナタウン前の道路
.....通称「マリナ通り」と言われる線が博多湾の海岸線でした。

これは昭和57年(1982年)から昭和63年(1988年)に行われた埋め立て
工事によって新しい街づくりがされてきました。

埋め立てには海底砂や旧早良炭鉱ボタ山、この時期に行われた旧福岡県庁舎の移転・
解体に伴うコンクリート廃材などを使って埋め立てられました。

埋め立て前・埋め立て中そして現在の上空からの写真やデータを紹介いたします。

***** 埋め立て前

埋め立て前の昭和33年代(1958年)の上空からの写真類です。
195833
昭和40年(1965年)代の航空写真

401965

昭和38年(1963年)の手書き地図

38

昭和50年(1958年)の埋め立て前航空写真
 旧早良炭鉱のボタ山など残っています。
195830

昭和60年ごろ(1985年)埋め立て前....愛宕浜団地だけはすでに埋め立て造成済。
1975150

****** 埋め立て直前

昭和58年(1983年)埋め立て直前の枠のみ作成時の航空写真
198310

同埋め立て前後の手書き地図
Photo_20200503102201


***** 埋め立て直後
昭和62年(1987年)土砂埋め立て直後
19879

同航空写真
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****** その後
平成5年(1993年)ごろ
19935

平成22年(2010年)ごろ
2010

埋め立て後の手書き地図
Photo_20200503103501

埋め立て後の航空写真
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